2023年6月29日 配信
森を横に見ながら自転車で走っているとチョコレートが食べたくなってきます。
太い立派な木がたくさん生えた深い森であればあるほど、チョコレートを食べたい気持ちが高まっていきます。
具体的には、表面にカカオの粉がまぶされた、柔らかめのビターチョコレートです。たぶん、木の香りと土の茶色がそういう気分にさせるのでしょう。
実際に森を見なくても、「森」と聞いただけでなんとなくチョコレートを連想してしまいます。
思えば連想というのは不思議なものですね。。。
たとえば「地下鉄丸ノ内線」と聞くと、赤いハイヒールがポンと浮かんできます。これは丸の内=オフィス街から、そこで働く女性を連想しているのだと思います。といってもオフィスで働く女性は、なかなか赤いハイヒールなど履かないと思いますが。
「ブリンケン国務長官」と聞くと、顔が四角い青い犬が浮かんできます。ブリンケンという響きと、ケン=犬ということなのだと思います。初めて新聞でお顔を拝見したときは、イメージと違う!と思ってしまいました。(そりゃそうだ)
「浜離宮」と聞くと、正方形の赤いじゅうたんが浮かんできます。これは、茶道で使うもうせんから来ているのだと思います。我ながらわかりやすいです。
わかりやすいもので言うと「六本木」の場合、ピンク色が浮かびます。これは、交差点にある老舗洋菓子店アマンドのイメージカラーからきているのでしょう。
名前を聞いただけで自動的に頭に浮かんでくるものがある一方、連想の余地がまったくないものがあります。
たとえば、この写真の紫陽花を見てください! なんともいえない色じゃないですか?
写真を撮るのがとても下手なので、この美しさが伝わるかどうか不安なのですが、毎年この紫陽花を目にすると、色のグラデーションのあまりの絶妙さにただただウットリしてしまうのです。綺麗……!という感想だけで頭がいっぱいになり、思考が停止してしまう感じ。
結論。美とは連想の発動を許さないものである。
あっ、ちょっと硬かったですね(汗)
……結論。美しいものは、ただそれだけで完結している。
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