2023年9月28日 配信
歩いていて道端にペットボトルや缶などのゴミを見つけたとき、皆さんはどう思うでしょうか。
何も思わず通り過ぎる人がほとんどだと思います。
私も通り過ぎるタイプですが、あーあ、見てしまった、とちょっと嫌な気分にはなります。
神は私を試しているのです。目にしてしまったゴミに対してどんな行動をとるのかと。たいてい時間がなくて急いでいるので、見て見ぬふりをしてしまうのですが……。
ある日のこと。
お墓参りに行くため私は電車に乗りました。扉付近の、イスのないスペースに立とうと思い、その場所に向かいました。
すると、その窓枠の部分にペットボトルが立てて置かれてあったのです。中にはまだ半分ほどリンゴジュースが入っています。
うわ、と私は心の中で声をあげました。まさかこんなに真っ向から試してくるとは!
あたかも私がこの場所に来るのを最初からわかっていたかのようです。
さあ、どうする?
そういわんばかりのペットボトル。(中身入り)
神は全面的に私を試すことにしたようでした。車窓の景色を目に映しながら頭を巡らす私。
──たぶん、このペットボトルはずっとこのまま窓枠に置かれたままだろう。私が降りた後、この場所に立った誰かがペットボトルを目にしてちょっと嫌な気分になる。嫌な気分の連鎖は続いていく。誰かが終わらせない限り……。
その日は母の命日ということも大きかったかもしれません。
もう見て見ぬふりはできない──。
意を決して(大げさ?)私はペットボトルと共に駅を降りました。そしてホームにある水飲み場を探しました。幸いすぐに見つかって、そこにリンゴジュースを流します。
空になったペットボトルのラベルを剥がし、ボトルとラベルをそれぞれ所定のゴミ箱に入れました。
あー、スッキリ!
その後のお墓参りをすがすがしい気分で終えられたことは言うまでもありません。
その後も私はちょいちょい試されています。
やっぱり考える時間があるかないかは大きいようです。電車に乗っているときは、考える時間がたっぷりありましたから。
試された瞬間、何も考えずに動ける人は本当にすごいなぁ、と単純に尊敬してしまう私なのでした。
コメント
0 件