2025年1月20日 配信
本年は巳年です。
「ヘビ」といえば、私の母の背中には大蛇のような火傷跡がありました。
先の大戦の際、防空壕に避難していたところに焼夷弾が直撃したのです。
「出ちゃだめ! 色白の娘は赤鬼に捕まったら乱暴されて殺される!」
と、祖母に言われたものの、まだ小さかった母は熱さに耐えかね飛び出しました。
防空壕は神社を模して作られていました。母が飛び出した瞬間、粗末な鳥居が焼け崩れ母を押し倒したのです。母は背中を焼かれながら気を失いました。
残った人々は、全員、焼け死んだそうです。
孤児となった母は、その後、辛酸を舐めるように生き延び、十数年後、温泉街の片隅で小さなスナックを始めました。
「あんたのお婆ちゃんはね、座布団で作った防空頭巾に火が燃え移って、サンマの塩焼きみたいだったわ。おばあちゃん、痩せこけてたから脂がのってなくて、鬼さんたち、さぞ不味かったでしょうね」
そう言って、母は笑いながらショットグラスの酒をひと息に飲み干すのです。
母は火傷跡を隠すため、店に立つ時はもちろん、真夏でも着物を着ていました。
店が繁盛すると、近所の人たちから母は、女狐(めぎつね)とか白狐(びゃっこ)などと呼ばれました。しかし私は母のことを蛇女(へびおんな)だと思っていました。
たすき掛けをした時に見える腕に張り付いた火傷による皮膚の皺(しわ)が白蛇(しろへび)の鱗(うろこ)のように見えたからです。
アル中気味の母は、開店前、店の掃除を手伝う私に、いつも「日本昔話」や「おとぎ話」より、戦争の話ばかりしていました。いつも話の締めくくりはこうでした。
「でも私は運が良かったの。顔は焼けなかったんだから。何より、あんたが生まれたから……」
ずいぶん経ってから知ったのですが、母は近所の孤児院に、わずかなお金や、私が着なくなった服をこっそり寄付していました。
その後「めでたし、めでたし」とはいきませんでした。本格的にアル中となり、さらに花札や麻雀など、ギャンブル中毒となった母は身を持ち崩し、死んでしまいました。
更に酷なことに、なんと、母から身ぐるみ剥がすように金を巻き上げたギャンブル仲間に、孤児院の出身者たちがいたのです。その男たちは、長じて温泉街のゴロツキとなっていたのです。
母は私に「人生は、日本昔話やおとぎ話のように、うまくはいかないわよ」と言いたかったのかもしれません。
『ウクライニアン・ドローン・スナイパー』は基本的にフィクションですが、実在する15歳の少年がモデルとなっています。その少年は、当初、ロシア軍の戦車部隊が侵攻して来たのをいち早くドローンで見つけ、ウクライナ軍に知らせることで撃退に貢献しました。その後、その少年がどうなったのかは、今のところ、知る術がありません。
「めでたし、めでたし」となったわけはないでしょう。
「明けましておめでとうございます」と言いたいところですが、世界情勢を鑑みると、とてもそんな気分にはなれません。今でも世界のあちこちで戦争が続いています。
いつの時代も戦争の犠牲となるのは女性や子供たちです。
しかし、弱者を助けても、その弱者が長じて乱暴者となることは多々あります。でも、道端に捨てられ、死にかけている子犬や子猫を見過ごせる人はいないでしょう。たとえその子犬や子猫が、狼や虎の子だったとしても、、、
ウクライナに、そして世界中に平和が訪れるのを祈っています。
妹尾一郎
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