2024年12月10日 配信
私が読書を始めたのは小学一年生の時、アポロ11号の月着陸がきっかけでした。
以来、宿題もやらず、夢中でSF小説を読み漁ったものです。
中学生になってもその熱は冷めず、そのうち読書だけでは物足らなくて、新聞配達をして買った中古のミノルタで天体写真を撮るようにもなりました。
「僕もいつか別の星に行ってみたい」と思ったのです。
しかし、小、中、高と、学校の成績は、ずっと低空飛行でした。
それでは宇宙飛行士になんてなれるはずもなく、一念発起した私は「せめて外国に行ってみたい。カメラマンになれば行けるかもしれない。何より、この田舎から脱出するぞ」と決意し、高校を卒業すると「夢の超特急」に乗って上京しました。
初代山陽新幹線、団子鼻のひかり号です。
発車のベルが鳴り響くと同時に、頭の中でカウントダウンが始まりました。
東京に入ると、ビルの谷間から羽田空港に伸びるモノレールがSF世界のように見え、期待と不安で、私の鼻も団子のように膨らんだものです。
とりあえず杉並の安アパートに居を構えると、すぐ、東銀座にある、当時、流行の最先端をゆく出版社に自分を売り込みに行きました。持参した作品は、月や星の写真です。
無謀というか、厚かましいというか、トンチンカンというか、何も知らなかったのです。
野暮ったい格好をしていたので、家出少年と思われたかも知れません。
「デスク」と呼ばれるオシャレなおじさんが面接してくれたのですが、
「あのさぁ君ねぇ、アポなしで急に来られても、ちょっと困っちゃうんだよねぇ」
と、腕組みした手でヒゲを触っていたのを今でもはっきりと覚えています。
たまたま側で、長細いタバコを吸いながら話を聞いていたカラスのような黒服を着た女性編集者に「このまま追い返すのも可哀想じゃない」と優しい声をかけられ、運良くアルバイトアシスタントとして採用されたものの、案の定、しばらくは使いパシリもできず、
「ドジでのろまなカメアシ!」「田舎者!」と、怒られる毎日でした。
バブルに沸き立つ銀座のネオンが、悔し涙で滲んで見えたものです。
もちろん、何もできない自分に対する悔しさです。
それでも歯を食いしばって頑張っていると、数年後、どうにか一人前のカメラマンとして、その会社の看板雑誌でデビューさせてもらえました。
とはいえ、始めのうちは白黒ページだけ。しかも切手と同じくらいか、せいぜい名刺大、良くてキャビネサイズくらいの写真ばかりでした。写真の扱いが少しでも大きくなるよう、そしていつかはカラーページを撮影させてもらえるよう、がむしゃらに働いた日々が、昨日のことのようです。
時が経ち、還暦を過ぎた私ですが、今、その頃と同じ心境です。
「この度は、素晴らしい賞をいただき、本当にありがとうございました。大した学も才能もありませんが、一生懸命がんばります。よろしくお願いします」
「ウクラニアン・ドローン・スナイパー」著者:妹尾一郎
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