2025年5月11日 配信
放課後の教室。窓から差し込む陽射しが、少しずつ傾いてきていた。
黒板には「避難訓練ごくろうさま!」の文字。けれど、教室の話題は別の方向で盛り上がっていた。
クラスの男子・リョウがふざけたように制服の下から白いTシャツをめくって見せた。胸には黒字で大きくこう書かれている。
“The End Is Coming – 2025.07.05”
そして背中には“世界最後の登校日”というふざけた文字。
「それ、マジで作ったの?」「ヤバすぎ!」
周囲が爆笑する中、何人かの女子も「私もネットで注文した~」と盛り上がる。
「こっち見て。『7.5Tee』ってタグつけると拡散されやすいらしいよ!」
タクトはSNSで流行している投稿を次々と見せてくる。
・終末カウントダウン動画
・防災グッズ開封チャレンジ
・“この日に告白したら断られない説”みたいなネタ検証
教室中が笑いに包まれる。
けれど──その笑いの渦から少し離れたところに、一人の女子が座っていた。
佐伯なつみ。
普段は目立たないタイプだが、今日の彼女はいつも以上に沈んでいた。
その肩が小刻みに揺れているのに、一星は気づいた。
声をかけると、彼女はうつむいたまま答えた。
「……うちの親、東日本大震災のとき、仙台にいたの。
それで、いまも地震速報の音聞くだけで、お母さん泣くんだよ。
私、小さいときから“また来るかもしれない”って言われて育ってきたの。
なのに……“終末Tシャツ”とか、ほんとに、冗談なの……?」
彼女の声は小さく震えていた。
隣でまだTシャツの見せ合いを続けるリョウたちの笑い声が、まるで爆音のように一星の耳に響いた。
──これが、現代の「不安」なんだ。
──笑いに変えることで、みんな“本当の怖さ”から目をそらしてる。
一星は、机の上に手を置いて、静かに言った。
「……僕はさ、本当に怖いと思ってる。
だから、Tシャツとか動画とかにはしないって決めてる」
なつみは、少しだけ目をあげて、一星を見つめた。
「……ありがと」
教室の隅では、その後もしばらく「7月5日ネタ」の騒ぎが続いていた。
でも、一星の中にはひとつ、確かに積み上がっていくものがあった。
“この空気の中で、本当に誰かを守ろうとしたら──笑われても、立たなきゃいけない。”
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