新刊
2024年8月7日 配信
クリエイティブメディア出版・キャスティング局です。 「核兵器が無い平和な世界を希求して」 新刊リリースです。 『キノコ雲の下からさあもう一度』:ナガサキ・被爆家族の願い(著)浦上原天 ※当時の貴重なお写真も多数収録 8月6日「広島原爆の日」そして、8月9日「長崎原爆の日」に合わせて新刊発売となります。Amazon最新リリースランキング「9位」。Amazonランキングも売れ筋ランキング「36位」でスタート。好発進となりました。 *新刊情報 *タイトル:『キノコ雲の下からさあもう一度』:ナガサキ・被爆家族の願い(改訂版) *浦上原天(著) *定価:1000円+税 *Kindle Unlimited […]
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記事
2025年3月21日 配信
これは、昭和25年(1950年)の正月の時の写真です。長崎市の原爆公園(現在の原爆落下中心地公園)で、筆者の父が撮ったものです。写っているのは筆者の母と叔父(母の弟)と筆者で、背後に写っているのは、おそらく最初に建てられた木造モルタル造りの原爆資料館です。 その内部空間は小さく、入り口で中をぐるっと見渡すと全てを観られる様な造りだったと思います。 まだ幼児だった筆者の記憶では、中には何だか訳の分からない物や写真が置いてあったり壁に掛けてあったりしていました。1人で入るには少々恐い建物という印象でした。しかしその展示物は言語に絶する大惨事の遺品類だったのです。 この公園の直ぐ側を流れる下 […]
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記事
2025年2月21日 配信
日本被団協様のノーベル平和賞受賞を心底より祝福いたします。 筆者は長崎の被爆者から生まれた被爆2世として何だかホッとし、それでも誰かが核兵器を使ってしまうのではないかという心配事を拭い去れないでいます。 筆者の父の最初の妻・子は、長崎原爆落下中心地から約750㍍の地点で被爆し、8月9日当日に悲惨な姿で即死及び絶命しました。父は原爆落下中心地から約2㎞の工場内で被爆し、父だけが工場内で只1人生き残り、被爆当日に妻子の元に戻り、妻子の遺体の処理に当たり、その後戦後を生き延びました。父の住み処・筆者の実家は原爆落下中心地から約270㍍の所にありました。直接被爆者の人達は、想像を絶する途方もなく耐 […]
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新刊紹介
2024年12月1日 配信
この写真は、昭和34年(1959年)頃に撮った写真です。写っている人物は筆者の父(謙二)です。 背景は被爆後に建て直された浦上天主堂の正面です。カメラのシャッターを押したのは小学生だった筆者です。 浦上天主堂は爆心地から北東約500㍍の位置にあります。 父が寄りかかっているように観える向かって左側に写っている石の彫刻は、原爆の熱線で焼け焦げた聖人の頭部の像です。 それはもともとこの位置にあったのか爆風で吹き飛ばされてこの付近に転がり天主堂再建時にこの位置に置かれたのかは筆者には分かりません。この付近でも大勢の市民が被爆し他界しました。 父の最初の家族も、ここから概ね北西に約500㍍の当時の疎 […]
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新刊紹介
2024年9月11日 配信
この写真は、昭和25年(1950年)の多分秋に、自宅前で父が妻(筆者の母)を撮った写真である。自宅とは原爆落下中心地から直線距離で約260㍍離れた国道沿いの場所にあった。 疎開する前に父が暮らした家が熱線と爆風で消えてなくなり、その跡地に、廃材でとりあえず6畳一間の家を建て、新しい生活を始めた処である。そしてここが筆者の実家である。その家は写ってはいないが、庭の無い玄関から入ると2畳ほどの土間があり、土間の右側に6畳の居室、土間の左側に台所と洗面所と汲み取り式のトイレがあった。雨の日は雨漏りがした。雨戸は隙間や穴だらけで、手前の障子に隙間や穴から差し込んでくる外の景色が逆さまに写って不思議 […]
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新刊紹介
2024年8月22日 配信
平和祈念像が完成したのは昭和30年(1955年)、私が小学校1年生の頃だったと覚えている。丘の上の広々とした平和公園に、その銅像はできあがった。当時の子ども達の目には、何の銅像か何を意味しているのか解らなかった。筋骨隆々とした髪の長いオジサンが変な格好をして座り白い粉を吹いている銅像にしか観えなかった。付近を通りかかる大人に「こいは何の銅像ね?」と尋ねても「さぁ何やろか?」とか「平和ば祈る銅像たい!」というくらいの返事しかなかった。どうも納得できなかった。 銅像ができあがると、近隣に住む子ども達や私の仲間達も放課後や休日などにそこに押しかけて行き、台座の岩壁をよじ登り銅像の足下に […]
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記事
2024年5月9日 配信
浦上原天です。 「キノコ雲の下から、さあもう一度(改訂版)」(ナガサキ・被爆家族の願い)の出版を決意したきっかけについてお話ししたいと思います。 「キノコ雲の下から、さあもう一度(改訂版)」の原文は、私の父の原爆被爆体験談に拠ります。 長崎に原爆が投下された当時、父は40歳でした。 私の父は「ナガサキに原爆が投下され、被爆し、家族の多くが皆死んでしまった。私も被爆死した家族と共にいっそのこと死んでしまいたかったのに。だが私は死ぬことすらできず、生き残ってしまった…」という無念というかなんと申しますか、とても複雑な思いを語っていました。 生き残ってしまった父にとっての「生きている意味」、それは「 […]
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プロフィール
2024年2月14日 配信
*ナガサキ・被爆家族の願い *長崎 平和祈念像: 平和祈念像は、長崎県長崎市松山町の平和公園にある像。(ウィキペディア) *著者プロフィール: 浦上原天(うらかみ げんてん) 昭和二十三年十一月に、長崎県長崎市浦上地区の原爆落下中心地から約二百五十メートル付近で生まれ育つ。原爆被爆二世。高校卒業後上京。大学卒業後に何回か転職。結婚し家庭を持った後、昭和六十年に長野県に移住し、病院職員として心理係・相談指導員、大学院卒業、福祉施設施設長、大学教員、専門学校教員、スクールカウンセラーなどを歴任。現在は、心理カウンセラー・ソーシャルワーカー、専門学校教員。 著者近影
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