2024年8月22日 配信
平和祈念像が完成したのは昭和30年(1955年)、私が小学校1年生の頃だったと覚えている。丘の上の広々とした平和公園に、その銅像はできあがった。当時の子ども達の目には、何の銅像か何を意味しているのか解らなかった。筋骨隆々とした髪の長いオジサンが変な格好をして座り白い粉を吹いている銅像にしか観えなかった。付近を通りかかる大人に「こいは何の銅像ね?」と尋ねても「さぁ何やろか?」とか「平和ば祈る銅像たい!」というくらいの返事しかなかった。どうも納得できなかった。
銅像ができあがると、近隣に住む子ども達や私の仲間達も放課後や休日などにそこに押しかけて行き、台座の岩壁をよじ登り銅像の足下にへばりついて遊んだ。銅像を触ったり拳で叩いたりしてみると岩の感触ではなく、爆心地公園に置かれ被爆してグニャグニャに曲がり、本来何だったのか解らない鋼鉄の塊の感触に近かった。
どこまでよじ登れるかしばしば競争になったが、銅像そのものはつるつるして指や足をかける処も無く誰も登れなかった。
それから何週間かの後、子ども達が銅像によじ登って遊んでいたら、見知らぬオジサンが近寄って来て「そこに登ったらいかん!危なか!落ちたらどがんすっとか?!絶対に登るなよ!!)」と大きな声で厳重に注意するようになった。しばらくは子ども達も「おもしろかとよ!オジサンも登ってみんね。景色の良かよ!」等と反論していたがオジサンも決してゆずらなかった。いつの間にか子ども達も銅像を仰ぎ見るだけになり、公園内を走り回って遊ぶようになった。
平和祈念像の姿の意味は《天を指す右手指は“原爆が空から落ちて来た”。しかしもうそんなことは無い。地上は平和になった(水平に保たれた左腕の意味)。被爆して他界された人々の為にご冥福を祈ろう(軽く閉じられた両目)。》と言われている。
神聖な平和祈念像によじ登った我々をどうかお許しください。
浦上原天 拝
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