コメント  

6 件

    ゆみゆみ says:
  • 名前 : ゆみゆみ  

    真の平和 核のない世界 人類の永遠の課題だと私も思っています
    今もなお戦争が絶えない地球
    日本で生活をしている私ですが、この平和は当たり前ではないということが悲しくもあります
    この戦争の延長線上に、核があること
    これもまた、現実なのが悲しいです
    核兵器の恐ろしさ戦争の恐ろしさ、1人でも多くの人に、心に刻んでほしい
    「きのこ雲の下からさあもう一度」
    読んでいて、苦しくなってしまうほどの内容ではありましたが
    核の現実を心に刻める書籍だと私は思います

    日本だけではなく、全世界の人が読めるようにしてもらいたいです
    そして、核のない世界を現実にしてほしいと、願う人が1人でも多くなることを願ってます

    • 浦上原天 says:
    • 名前 : 浦上原天  

      ゆみゆみ様、コメントを真にありがとうございます。
      ゆみゆみ様のコメントの内容の通りだと思います。私も心に響きました
      ありかどうございます。

    さかとも says:
  • 名前 : さかとも  

    日本被団協様がノーベル平和賞受賞をされことは、いかに人類にとって核兵器が脅威であるかという再認識をさせるものであったと同時に一つの大きな前進でもあると思います。
    現代の戦争は常に背後には核の存在、核を使用する可能性があるという恐怖が付きまといますが、それが核戦争にまで発展した場合、戦争当事国はもちろんのこと、我々の生活もすべて破壊しつくされて消えてしまう、
    しかも簡単に綺麗に消えるわけではなく、被爆されて亡くなった方々はどれほどの苦痛を感じたのか、また仮に生き残ったとしても、その後の現実は「きのこ雲の下からさあもう一度」という本で生々しく記載があるように耐え難い心身の苦痛、地獄のような状況を味わう可能性も大いにありうると思います。
    そんな恐ろしい兵器を手にする国がどんどん増えれば以上の恐ろしい状況が現実となる可能性もどんどん高まると思います。
    そこでの今回のノーベル平和賞受賞は大いに意味のあることだと思います。ですが、核を一度手にしてしまった後で放棄は絶望的である現実があります。
    その難問と今も人類は向き合っているわけですが、今後の解決のヒントの一つとして、世界中のより多くの人達に核の恐ろしさ、他人事ではなく自分たちにも直接関係する大きな問題であるということをわかってもらうことが大事だと感じます。
    そのために誰でも足を運べる広島と長崎の原爆の資料館、追悼平和記念館は一つの大きな存在だと思います。

  • さかとも says:
  • 名前 : さかとも  

    日本被団協様がノーベル平和賞受賞をされことは、いかに人類にとって核兵器が脅威であるかという再認識をさせるものであったと同時に一つの大きな前進でもあると思います。
    現代の戦争は常に背後には核の存在、核を使用する可能性がある という恐怖が付きまといますが、それが核戦争にまで発展した場合、戦争当事国はもちろんのこと、我々の生活もすべて破壊しつくされて消えてしまう、しかも簡単に綺麗に消えるわけではなく、被爆されて亡くなった方々はどれほどの苦痛を感じたのか、また仮に生き残ったとしても、その後の
    現実は「きのこ雲の下からさあもう一度」という本で生々しく記載があるように耐え難い心身の苦痛、地獄のような状況を味わう可能性も大いにありうると思います。そんな恐ろしい兵器を手にする国がどんどん増えれば以上の恐ろしい状況が現実となる可能性もどんどん高まると思います。そこでの今回のノーベル平和賞受賞は大いに意味のあることだと思います。ですが、核を一度手にしてしまった後で放棄は絶望的である現実があります。その難問と今も人類は向き合っているわけですが、今後の解決のヒントの一つとして、世界中のより多くの人達に核の恐ろしさ、他人事ではなく自分たちにも直接関係する大きな問題であるということをわかってもらうことが大事だと感じます。そのために誰でも足を運べる広島と長崎の原爆資料館、追悼平和記念館は一つの大きな存在だと思います。

  • ポンポコ says:
  • 名前 : ポンポコ  

    核は人類にとって重大な問題をはらみ、矛盾をかかえた扱いにやっかいなものです
    ましてや世界で唯一それを使われた日本人にとっては核に対する意識は複雑です
    そのあたりの心境を作者はたくみに表現していてなかなか興味深く読ませていただきました

  • 深見はつか says:
  • 名前 : 深見はつか  

    『正義なき力は暴力、力なき正義は無力』とはけだし名言である。
    政局、経済の見通しに閉塞感を覚え、正義も力もその存在感が実感出来ない日常。
    そのような中で日本原水爆被害者団体協議会様のノーベル平和賞の受賞が眩しく、同時にこれまでとこれからの道のりに頭の下がる思いである。

    さて、人類は核兵器を廃絶出来るのか?
    これは子供の頃、唯一の被爆国たる我が国の歴史を学んだ時から度々頭に浮かぶテーマである。その度に思考が堂々巡りして終わってきたが、核兵器廃絶を必ず理想と目標に掲げ、保証は無いが核抑止に全力を尽くす、という浦上先生の言葉に救われた。
    もう一つ、平和を語る上で心に残っている文章がある。皇女敬宮様 『世界の平和を願って』、この作文を綴られたのも核抑止力の源泉の一つ、広島平和記念資料館を修学旅行で訪れられ、被害の実態をご覧になったのがきっかけであった。
    原発の被害、後遺症、その後の心の傷については『キノコ雲の下からさあもう一度』にも詳述されているが、多くの人々にとっても実態を知り、知れば知る程、我が身に置き換え抑止力になるようにと願って止まない。
    丁度『クリスマス・キャロル』で冷酷無比な守銭奴だったスクルージが自身が薄給でこき使う従業員の病弱な末子ティムの未来を知り、その早過ぎる死を未然に防ごうと立ち上がり、改心したように。
    知ることから平和が始まる。

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