新刊紹介
2024年12月1日 配信
この写真は、昭和34年(1959年)頃に撮った写真です。写っている人物は筆者の父(謙二)です。 背景は被爆後に建て直された浦上天主堂の正面です。カメラのシャッターを押したのは小学生だった筆者です。 浦上天主堂は爆心地から北東約500㍍の位置にあります。 父が寄りかかっているように観える向かって左側に写っている石の彫刻は、原爆の熱線で焼け焦げた聖人の頭部の像です。 それはもともとこの位置にあったのか爆風で吹き飛ばされてこの付近に転がり天主堂再建時にこの位置に置かれたのかは筆者には分かりません。この付近でも大勢の市民が被爆し他界しました。 父の最初の家族も、ここから概ね北西に約500㍍の当時の疎 […]
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新刊紹介
2024年9月11日 配信
この写真は、昭和25年(1950年)の多分秋に、自宅前で父が妻(筆者の母)を撮った写真である。自宅とは原爆落下中心地から直線距離で約260㍍離れた国道沿いの場所にあった。 疎開する前に父が暮らした家が熱線と爆風で消えてなくなり、その跡地に、廃材でとりあえず6畳一間の家を建て、新しい生活を始めた処である。そしてここが筆者の実家である。その家は写ってはいないが、庭の無い玄関から入ると2畳ほどの土間があり、土間の右側に6畳の居室、土間の左側に台所と洗面所と汲み取り式のトイレがあった。雨の日は雨漏りがした。雨戸は隙間や穴だらけで、手前の障子に隙間や穴から差し込んでくる外の景色が逆さまに写って不思議 […]
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2024年8月22日 配信
平和祈念像が完成したのは昭和30年(1955年)、私が小学校1年生の頃だったと覚えている。丘の上の広々とした平和公園に、その銅像はできあがった。当時の子ども達の目には、何の銅像か何を意味しているのか解らなかった。筋骨隆々とした髪の長いオジサンが変な格好をして座り白い粉を吹いている銅像にしか観えなかった。付近を通りかかる大人に「こいは何の銅像ね?」と尋ねても「さぁ何やろか?」とか「平和ば祈る銅像たい!」というくらいの返事しかなかった。どうも納得できなかった。 銅像ができあがると、近隣に住む子ども達や私の仲間達も放課後や休日などにそこに押しかけて行き、台座の岩壁をよじ登り銅像の足下に […]
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