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2025年3月21日 配信
これは、昭和25年(1950年)の正月の時の写真です。長崎市の原爆公園(現在の原爆落下中心地公園)で、筆者の父が撮ったものです。写っているのは筆者の母と叔父(母の弟)と筆者で、背後に写っているのは、おそらく最初に建てられた木造モルタル造りの原爆資料館です。 その内部空間は小さく、入り口で中をぐるっと見渡すと全てを観られる様な造りだったと思います。 まだ幼児だった筆者の記憶では、中には何だか訳の分からない物や写真が置いてあったり壁に掛けてあったりしていました。1人で入るには少々恐い建物という印象でした。しかしその展示物は言語に絶する大惨事の遺品類だったのです。 この公園の直ぐ側を流れる下 […]
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2025年2月21日 配信
日本被団協様のノーベル平和賞受賞を心底より祝福いたします。 筆者は長崎の被爆者から生まれた被爆2世として何だかホッとし、それでも誰かが核兵器を使ってしまうのではないかという心配事を拭い去れないでいます。 筆者の父の最初の妻・子は、長崎原爆落下中心地から約750㍍の地点で被爆し、8月9日当日に悲惨な姿で即死及び絶命しました。父は原爆落下中心地から約2㎞の工場内で被爆し、父だけが工場内で只1人生き残り、被爆当日に妻子の元に戻り、妻子の遺体の処理に当たり、その後戦後を生き延びました。父の住み処・筆者の実家は原爆落下中心地から約270㍍の所にありました。直接被爆者の人達は、想像を絶する途方もなく耐 […]
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2024年5月9日 配信
浦上原天です。 「キノコ雲の下から、さあもう一度(改訂版)」(ナガサキ・被爆家族の願い)の出版を決意したきっかけについてお話ししたいと思います。 「キノコ雲の下から、さあもう一度(改訂版)」の原文は、私の父の原爆被爆体験談に拠ります。 長崎に原爆が投下された当時、父は40歳でした。 私の父は「ナガサキに原爆が投下され、被爆し、家族の多くが皆死んでしまった。私も被爆死した家族と共にいっそのこと死んでしまいたかったのに。だが私は死ぬことすらできず、生き残ってしまった…」という無念というかなんと申しますか、とても複雑な思いを語っていました。 生き残ってしまった父にとっての「生きている意味」、それは「 […]
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