2025年10月1日 配信
直接被爆者であった私の父が、長崎原爆の惨禍の遺構などで撮った写真が出版大賞を頂き、目が眩みます。青天の霹靂とはこのことだと思いました。
心底より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
私の父は工場の中で只1人生き残り、市内の様子が原爆炸裂前とは全く違っているのを見ながら妻子が8月9日と10日に無惨な姿で息を引き取っていくのを見届けるしかありませんでした。
父は妻子と長崎市の原爆の惨禍を忘れまいとしてこれらの写真を撮ったのだろうと思います。
願わくば、この写真集が、キノコ雲の下で生きのびた人々の生きることへの復帰と長崎市復興の証しの一部分となり、核戦争抑止のわずかでも一部分になることを祈ります。
出版大賞を授けて頂いた方々に心の底から感謝申し上げます。
大賞の賞状が届き、それを手にした時、嬉しさと同時に私には少し複雑な感情が湧き上がって来ました。
長崎原爆の激烈な熱線と衝撃波と放射線で大地を激しくひっぱたかれ、人の原型を止めない様な凄惨な姿で絶命された人々が3万人~4万人、その年の年末までに約7万の人々が絶命されました。その後も主に放射線被曝の影響でこれまで多くの人々が他界されており、未だに放射線障害などで病に伏しておられる人もいます。これほど多くの命の犠牲の上に、私が賞を頂いて良いのだろうかと、ふと頭をよぎります。
文芸作品や写真集などで、読者の方々を悲しみや憂いの淵に引きずり込み、悲哀や同情や怒りに誘うことはできると思います。しかし出版物として世に出る真の意義は、読んで頂いた後、観て頂いた後で、様々な読者に生き抜いて行こうとする勇気と元気を生み出して頂くことだと思います。そのような意味合いで、被爆して打ちのめされた後の長崎市民の立ち上がりと再建・復興の読み物と写真集になることを祈っています。
『キノコ雲の下から、さあもう一度』も、賞を頂いた『-写真集-』も、地獄の淵から立ち上がり、再び生きる世界に向けて復興しようとする長崎の人々の生命力を感じ取って頂ければ幸いに存じます。
被爆後の長崎市の有様や風景は、私にとってはどっぷりと日常のものでしたが、そこに何らかの価値を見出して頂いた松田社長様をはじめ関係するスタッフの方々のご配慮とご尽力に改めて感謝申し上げます。
浦上原天 拝
コメント
0 件