2022年2月16日 配信
心の運動療法家、岡本浩之です。
子供の頃にいやいや勉強をやらされて、「なんで勉強なんかしないとダメなの?」と疑問に思ったことはないでしょうか?
「学生時代に勉強したことも大人になったら皆忘れていたり、役になっていないよね?」
「若いうちに苦労はしておくものだと言われるけど、苦労しなくても生きていけるでしょ?」
などと反発したくなった方もおられるのではないでしょうか。
私は子供の頃から「いやいや勉強をやらされていた。」「運動で挫折しまくって、結果が出そうもないから仕方なく勉強にシフトした。」と後ろ向きな理由で勉強をしていたこともあり、また勉強で追い込み過ぎてうつ病が悪化したこともあり、勉強に否定的な気持ちが強かったです。
「東大に行く人は皆好きで勉強やっているんでしょ?」「強制されなくてもやれるんでしょ?」と言われることもありますが、私の場合は医師になりたいという考えはあるにしても、小さい頃から強制されてきた思いが強く、「勉強なんて誰が考え出したんだ?(怒)」と考えていました。
ただ、そんな考えの私ですが、「勉強をする意味」について、ここ数年私なりに理解できたことがあります。
確かに多くの人には勉強したことは役に立たないですが、勉強する過程で身につけた「問題を解いて答えを導く作業」「記憶する作業」「過去の積み重ねから現在、未来を考える作業」などは知らず知らず生活の役に立っているなと感じます。
また、最低限の知識を身につけることは社会で複雑な対人関係の中で自分の居場所を見つけて生きていく上でプラスになっています。
学校で勉強する内容がきっかけとなって、それをもっと深めて専門家として生きていく選択肢を持つことが出来ます。
ある方が以前「古文・漢文はオワコン」と話していましたが、過去の人と現在の私たちは連続したものであり、古文や漢文を通して過去の人たちの考えや表現を知ることは、現在の私たちの生活にとって決して無駄ではないと思います。また、古文、漢文の一見読めない文章を読んで内容を理解していく作業は、生きていくうえでの問題を解決する上で役に立つこともあるでしょう。
私たちの生活は、自分や他人が勉強をして得たものの上に成り立っていると感じています。
もちろん、勉強は学校や塾、家庭教師だけで行うものでもないですし、家庭での生活、友人との関係、仲の悪い相手との関係も含めてすべて勉強として活かすことが出来ます。
また、スポーツで生きていくから勉強なんていらない!と思うかもしれませんが、スポーツの世界でも強くなろうと思うと、結局栄養学や解剖学、生理学、心理学などの知識は必要ですし、引退して指導やチーム運営をしようと思うと経営学、会計学、統計学など、勉強は必要になってきます。
そして、必要性を感じて自らやりだした勉強は、嫌々やっていた勉強と違って身につきやすいです。
どのような勉強が自分に合うか分からないので、選択肢を多く持つために広く勉強するのかなと感じています。
勉強が本当に無駄なものだったら、長い歴史の中で淘汰されてもおかしくないですし。
勉強をやらずに済むのであればやらずに済ませたいとは今でも思いますけどね・・・
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