2025年5月14日 配信
神と話したこともなければ、天国に行ったこともない。
それでも、地図を与えられたかのように、その地を確信している。
エミリー・ディキンソン
ぬかるんだコンクリートに横たわる血まみれの顔が・・・視界が鮮明になり、その表情が徐々に露になる。
間違いなく女性だ・・・たっぷりとしたブルネットの髪の先端にまで深紅の血が流れ伝わっている。
そして、滴り落ちるその血の下には苦痛で歪んだ表情がはっきりと確認できる。皮膚はピンク色に染まり、皮膚のあちこちには焼け焦げた跡があり、まだわずかに湯気が上がっていた。白いブラウスは無残にも焼け焦げており、破れたその背中にも焼けただれた跡が生々しく残っていた。
彼女は間違いなく死んでいた。しかもその状態のまま、胸に何かを抱えている。
・・・だめだ・・・直視できない。そ、その胸には・・・顔をうずめるようにして、小さな子供が。
その幼子も血まみれで微動だにしない。死んでいる彼女の子供・・・
この子を守ろうとしたが願いは叶わなかった。
俺は思わず、目を背けて瞼を固く閉じた。
しかし、時すでに遅く多数の何かが視界に飛び込み、こびりつくように脳裏に焼き付いた。
そして、まるで誰かが無理やりこじ開けるように俺の瞼は開いていった。
そこには・・・横たわっている多数の・・・深紅の川の上に横たわる・・・
どいつも体中から湯気が上がり、皮膚はただれ焼け焦げた跡のある多数の遺体だ。
事故なのか?
遺体が転がっているその先を恐る恐る目で追うと、ガラスの破片と車両の部品が散乱しているのが確認できた。
さらにその先には・・・まるで空襲で爆撃されたかのような鉄の骨組みだけになり果てたバスがあった。
炎はまだ上がっていた・・・
炎上するバスのフレームは、まるで骨格を失った巨大な虫のように崩れていた。近くには焼け焦げた、破片が散乱している。
本当に事故なのか・・・あの幼子を抱いた彼女の正体は・・・
俺は体の奥底から押し寄せるマグマのような怒りを感じ、叫んだ。
その雄叫びは、もはや人間というものを超えた何者かが宿ったような邪悪な咆哮に近かった。
俺は炎の中に身を投げた・・・さあ、俺の体を焼き尽くせ!地獄の業火に焼かれろ!
そうなるべきなんだ・・・なぜだ?なぜ、そう思うんだ?
わかっているだろう?目をそらすな・・・
炎が全身にいきわたり、体中に痛みが走った。
必死に体中をまさぐった。!
痛い!痛い!は・・・
は!ここは・・・見覚えのある・・・ここは・・・事務所だ。
俺の事務所にあるベッド。
きしむベッドで上半身を起こした俺は頭を抱えて深いため息をついた。
くそ・・・まただ・・・また、悪夢を見るようになっちまった。
体中が痛いのは・・・夢だけのせいじゃないのはわかっている。
体温は低い。早朝のみ、低体温の奴はごまんといるだろうが、症状が始まると俺の場合は昼夜問わず365日毎日だ。
平均で34度。明らかにおかしいだろ?
そのうえ、体中に激痛が広がり日に日に痩せ細り、皮膚が青白く変色していく。
なぜ、こんな体に?誰かに教えて欲しいもんだ・・・神よ、これはなんて病気なんだ?
目覚めが悪かったのでふらふらと起き上がり、いつものくたびれたスーツにネクタイをしてキッチンに向かった。
ここでまともな人間なら、熱いコーヒーとクロワッサンなどを摂取すると思うが、俺は違う。
まず、バーボンが入った瓶を手に取り、生ぬるいその液体を胃に流し込む。
早朝から体に悪い?大丈夫かって?
そっちは問題ない・・・本当に問題なのは症状が始まると、熱いブラックコーヒーやアルコール濃度の高いウィスキー・・・どれを摂取しても全部、同じなんだ。
何を言っているのかがよくわからい?
悪い・・・出し惜しみするのはもうやめる・・・
つまり、水もコーヒーも酒も味が一緒だってことだ。何も味を感じることができないんだ!
食い物だってそうさ・・・ただ一部例外を除いては。
症状が始まれば、味覚は死ぬ・・・ただ・・・肉類は別だ。
冷蔵庫に手を伸ばし、中を除く。生ハムがある・・・
俺が生ハムを食うと思ったか?
そうじゃないんだ・・・
生ハムではない。隣の鍋には、血に濡れた生の牛タン――業務用の巨大な肉の塊が入っている。
そう、俺の朝食はこれだ。
業者から昨日、大量に届いたばかりだ。
10ケースほど。奥の部屋の冷凍庫に保存してある。
これを食えば、体中の痛みはいくらか緩和されて体温も上昇していく。
が・・・生肉にかぶりつきたいという渇望は日に日に増していく。
思い切って告白すると・・・俺が、俺が・・・本当にかぶりつきたいのは・・・その辺を闊歩する人間なんだ・・・
コメント
0 件