2023年3月20日 配信
FPS(一人称視点のシューティング・ゲーム)については前に少し触れたが、上記の画像のようなゲーム歴は正直言って長い。 主にPCゲームでのプレイがほとんどであるが、手前にプレイヤー、つまり主人公として銃を構えているのは私だ。奥に見えるのは敵キャラクター・・・プレイヤー(私)はこの所持している銃(ここではショットガン)で敵キャラクターを排除せねばならない。奥に進み、とにかく敵を破壊しまくっていく。この視点は完全なる一人称視点である。私は三人称視点のゲームはプレイしない。やはり、熱中できるのは一人称視点ゲームなのだ。執筆でも当然のごとく、物語は一人称視点でのみ展開していく。 三人称視点が書けないということではないが、やはり筆が進むのは一人称視点だ。時間があるときは常にFPSゲームをプレイしている。過集中・・・というべきか、時間はあっという間に過ぎていく。7、8時間は当たり前、気づけば夜に。眼精疲労に動悸、やりすぎは良くない・・・しかし、大人になってもここまでのめり込めるとは。外に出れば、長時間プレイの副作用、焼き付き(画面上の敵の画像)が現実世界でも見えてしまうことも!そう、つまりはFPS廃人、私はいつからかそう呼ばれてしまうようになったのだ。
このままではまずい・・・常人に戻りたい、いや・・・そもそも常人とはなんぞや?などと、自問自答を繰り返し、せっかくの外出も無駄に。そして、またゲームに戻っていく。そんな中毒性をもったFPSにはまるともう完全にクリアするまでプレイするしかない。狂気ともいうべき中毒性はもはや、誰にも止めることなど不可能なのだ。徹夜になると、これが最悪だ。日中の時間の経過と比べ、深夜零時過ぎからの時間の経過は恐ろしく早い!なぜか飛ぶがごとく過ぎてゆくのだ。楽しい時間は早く過ぎる・・・これはまさしくアインシュタインの相対性理論――時計をみると・・・な、なんと朝4時!ここまで、過集中させるものがこの世にあるとは――
しかし、私はやめられなかった。目は充血し、心臓の動悸が激しく波打つ。体が悲鳴を上げているのがわかった。それでも・・・深呼吸を繰り返し、ふと我に返る。一体、私は何をしているんだと。今日は一日ゲームしかしていなかったのだ。誰とも話さずに。後悔が始まり、ひとり反省会が脳内で始まる。いけない、こんな生活は自堕落だ(いいんだよ!もっとやれ!)・・・しかし、一週間に一度くらいの頻度(いや、もっとあるだろ!)で誰とも話したくない日がある。これではただのひきこもりではないのか?(いいや、これは小説を書くためのトレーニングだ!)肯定派と否定派の人格が現れ脳内で戦を繰り広げる。やがて、喧嘩は激しくなり殴り合いと蹴り合いに。罵声に怒号・・・お互いを掴み合い、行き場のなくなったもうひとりは私の体内から這い出ようともがく。そいつのおかげで私は余計に具合が悪くなり、やがて――誰もいないはずの部屋に何者かの気配を感じる・・・。背中からそっとそいつは忍び寄る・・・と、いう感じでここまで物語は出来上がった。FPS廃人→体調の変化→脳内喧嘩→創造 やはり、何事も無駄ではないのだ。
コメント
0 件