2023年6月2日 配信
・・・この思いは本当に自分のもの。自信をもって本当に本当にそう言えるのか?
遥か昔から疑念を抱いていたことを今、打ち明けたいと思う。
長期的に何かを計画し、実行して目標を達成するのは苦手だ。
なぜならば、途中でいろいろな考えが脳内をめぐり当初、目標を掲げていた事柄に無数の選択という名の道ができてしまうからだ。断じて言うが、これは目標を成し遂げるための努力が足りないとか気合が足りない、優柔不断などとは次元の違う話である。その無数の道には引き返す、ゆっくり後ろを振り返りながら進む、立ち止まる、道で穴を掘り何かを探すなど・・・自由自在だ。道ができてしまう理由は何か?それは僕自身の邪念だったり、疑念だったり、人間不信だったり・・・またはその目標に達するまでの生活の変化なども考えられる。僕自身、昨日絶体実行する!と、思ったことが翌日にはまるで人が変わったようになかったことになることも多々ありうる。その繰り返しである。重要な決定では周りから見れば迷惑だろうし、僕自身もその変容振りを誰よりも理解しているので、とても辛い。
理解しているが止められない・・・あれだけ心に誓った固い信念が、一体どこにいってしまったのか?さらには頭の中にまるで別人格の思いが無数に聞こえ始めて・・・さらにこうしているうちに時間だけが過ぎて何も達成できない不安に駆られる・・・本当に困ったことだ。遂には迷子のように同じ迷宮を回る感覚・・・悪夢以外のなにものでもない。
自分の脳が疲弊して極限まで追い込まる感覚・・・そこを超えると、ある悟りの境地に立たされる。そして、気違いじみた疑念が生まれてしまう・・・つまり・・・本当にこの思いは自分のものなのか?
この思いは本当に自分のものなのか?
そうなのだ・・・あれだけ信じていたこの思いは自分のもの、その信念自体が崩れていく。いくつもの思い、まるで多重人格者のようになった気分だ。それも一人二人ではない。もっと大勢の何者かの人格。頭の中の声の性格は様々で善人や悪人たちが闊歩し、魑魅魍魎状態になってしまう。
本当の自分の思いはどれなのか?どれが真実なのか?ただ単に憑依体質で・・・こうくるとまた話があらぬ方向に脱線して無数の道ができてしまうのでやめておく(霊能者が昔、電車の椅子には座らないほうがいいと言っていた話で・・・その理由は大勢の人の思念が入り込むから)などの話を持ち出して、永遠ときりがないので・・・ああ、やはり道ができてしまった・・・。
ということで迷宮から抜け出し少し整理するために次回に続きます。
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