2023年3月24日 配信
かなり昔だが、一度だけテレビの修理人の物語を書いたことがあった。それは文学系のコンクール公募を見て用意したものだった。珍しく、殺人もなし。誰も死にはしない。書き出しは良かった。修理人の悲哀を描いた作品を目指していた。主人公の最後の一日・・・その日は退職日という設定。規定枚数からいえば長編だったのだが、文章の前半のほとんどはテレビの内部と修理の過程を永遠と描くものとなり今思えば、あれは出来の悪いただの取り扱い説明書で文学作品ではなかった。
しかし、修理の過程を文章として事細かく描けたのは経験があったからだ。調査と想像で書けるものには限度がある。やはり、現地での入念な経験・・・できればその業種ないし、職種に従事するのが手っ取り早い。完璧に偽りなく描くにはだ。そんな訳で私はとある現場で、半田〈はんだ〉(テレビの基盤についている電子部品を固定させる役割のもので針金のような形状)の作業資格を取得した。鉛とスズを主成分とした合金の半田に熱した半田ごて(半田を溶かすこてのことで250度の熱を発する)の先端を近づける・・・溶けていく半田、かすかに舞い上がる煙、独特な金属臭が鼻につく。鉛は人体に有害で2003年からは無鉛半田(鉛をほとんど含まない)が使用されるようになった。できるだけ素早くその溶けた半田を接合部に移動させねばならない。そうして無事に運ばれた半田は溶けたスライム状態からあっという間に固まり、接着という名の固定状態に変貌する。ちなみに、接合部に載せる半田は適量なのだが、これが多すぎたり逆に少なすぎると接合部が固定されず、イモ半田と呼ばれる不良状態になってしまう・・・こんな感じで説明文が多すぎたのだ。ちなみにあの原稿は見当たらない。データーにも残っていない。しかしだ、経験していれば、上記の通りまたあの頃のように思い出すことができるのだ。何度も繰り返して永遠に。
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